映像制作するなら知っておきたい映像制作の成り立ち【前編】

映像制作するなら知っておきたい映像制作の成り立ち【前編】

MVJコラム

こんにちは。株式会社モーション・ビジュアル・ジャパンです。10月に入り、徐々に朝夕は少し肌寒くなってきた今日この頃、いかがお過ごしでしょうか? 季節の変わり目、どうしても体調を崩しやすい時期にもなりますが、今日も皆様のお役に立つ情報を発信していきます。

今回は、映像制作するなら、知っておきたい映像制作の成り立ちについて。映像制作に直接的に役立つことはないかもしれませんが、もし当ブログを読んでくださってる方の中で、今後も継続して映像制作に携わっていくのであれば、最低限抑えておきたいところ。このブログを読めば、単に会社の業務としてではなく、もっとより深く映像制作に関わってみたいと思えるかもしれません。それでは、早速。

映像は、そもそもどうやって生まれたのか

そもそも映像というは、なぜ生まれたのでしょうかという切り口から考えてみます。もともと最初は、天文学者や写真家など非常に多方面からなる分野の先人たちが切り拓いてきたのです。例えば、フランスの天文学者であるピエール・ジュール・セザール・ジャンセンは、金星の太陽面通過を記録しようとしていました。当時はビデオ撮影などできませんから、そこで彼が取った方法が、「リボルバー型写真」です。写真乾板を回転させることで、乾板の異なる部分部分に、自動的に次から次へと写真を取っていく手法でした。当然、動画とは程遠いものですが、目当てとする現象を確かに記録することができたのです。

また、英国生まれのアドワード・マイブリッジは、馬主でもあった当時の州知事から出資を受けて馬の走り方を解明しようとしました。トラックの側に何台ものカメラを設置し、トラックを横切る糸を張っておくことで、通過するごとにカメラのシャッターが切られるという仕組み。この実験によって、徐々に動物の動きの解明に夢中になったマイブリッジは、人間の男女をはじめとして、様々なものの動きを撮影するようになったのです。上記二人のみに限らず、多くの人は実験的であったり、時に教育に用いようとして(聴覚障害者の方へ、自分の唇の動きを撮影することで話せるようにしようとしたり)、非常に実験的に活用しようと取り組んでいました。その後、エジソンやリュミエール兄弟のような人々によって映像が一つの産業として発展するようになったのです。

映画の産みの親は、エジソンか、リュミエール兄弟か論争

映像を語る上で、エジソンとリュミエール兄弟の話は切っても切り離せません。よく語られるのは、エジソンとリュミエール兄弟のどちらが「映画の父なのか」という話。実は、エジソンの方が有名なので、エジソンを語る伝記物語などでは、発明王エジソンを「映画産業も生み出した」と語られることも多いのですが、答えはリュミエール兄弟です。

まず1890年にアメリカのエジソンがキネトスコープを発明し、1895年にはフランスのリュミエール兄弟がシネマトグラフを発明しています。

ロール状のフィルムを使って動画を見せることでは両者とも同じなのですが、エジソンのキネトスコープはのぞき窓型(1人でしか鑑賞できない)スタイルだったのに対して、リュミエール兄弟のシネマトグラフは、現在の映画館と同じくスクリーンに映像を投影して、一度に多くの人々が鑑賞できるスタイルでした。そのため映画の発明はリュミエール兄弟というのが正解です。

リュミエール兄弟が発明してから、映画用のフィルムの形はほとんど変わっていません。現在でも撮影からアーカイブまで、さまざまな用途に使用されているのがフィルムなのです。

映画が日本上陸

ちなみに、日本へ導入されたのも案外早くて、1896年にはエジソンのキネトスコープで上映が行われています。当時は、欧米列強に追いつけ追い越せという政府方針だったからこそ、なのかもしれませんね。

さて、そんなわけでエジソンが発明したものよりも性能が良く、小型で撮影できるとあって、リュミエール兄弟はどんどん映画を量産しました。その数、実に数十本。ただし、そのいずれも1分程度で実録もの、つまりドキュメンタリーだったのでした。フランス中でみられる様々な人間模様を、今に伝える映像を多数残しています。

やがて、すぐに全世界にも広まっていったシネマトグラフを作ったリュミエール兄弟の会社は突如方針転換を発表し、映画制作から早々に撤退してしまったのです。それは、リュミエール兄弟とほぼ同程度の技術をもつ事業者が徐々に出現しはじめており、最初の勢いを維持できないと思ったのかもしれません。まさに、今でいうところのスマホのように、盗み、改造し、模倣していく。ビジネスの熾烈な競争がすでに映画産業にも到来していたのです。

そして、リュミエール兄弟とも肩を並べるほどの映写機を買い取る契約をまとめたのがエジソンでした。そのため、その映写機は「エジソン映写機」と呼ばれています。そして、エジソンはその後、一気にショービジネスへ舵を切っていくことになり、その最たるものがエジソン・トラスト。後にハリウッドを生み出す元凶ともなる組織です。

いかがでしたでしょうか? 今回は普段とは少し趣向を変えて、映像のルーツを探る内容でした。映像の技術を学ぶ上で、こうしたルーツを学ぶことは十分に意義あることです。ぜひ、ご興味を持たれた方は他にもいろいろ調べてみるのも面白いかもしれません。

【参考文献】
[ドキュメンタリー映画史], 著者エリック・バーナウ、出版社[株式会社筑摩書房], 発行年[2015年].
出典:https://finders.me/articles.php?id=316

 

 

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