「東海テレビ60周年記念 さよならテレビ」を見て思う

「東海テレビ60周年記念 さよならテレビ」を見て思う

近頃ドキュメンタリー番組に定評のある東海テレビが世に放った開局60周年記念番組「さよならテレビ」を拝見しました。テレビ的には実に野心的な作品となっていて、ナレーションなし、テロップも極力なし、音楽も控えめな作りになっています。明らかに「劇場公開」を意識したような作りだと感じました。テレビでは異質な演出も映画の世界では「普通」です。ですが、やはりこうした作りのほうが緊張感もあるし、無駄を削ぎ落とした美しさを感じます。

報道部を覗き見る

番組の舞台は東海テレビ報道部。1年以上に渡り密着していて、報道部に所属する若手記者とベテラン記者、そして番組のアナウンサーの3人を軸に取材を進めていきます。取材開始直後には報道デスク陣から本取材に対する猛攻な抗議を受け一旦「協定」を結び、その後はかなり踏み込んだ、というか、かなり踏み込まずに隠し撮り風に撮影が続きます。これが基本的な撮影スタンスなので視聴者は「覗き」感覚で番組を見ることになると思います。でもこれは明らかに演出。隠し撮りだけど、事前に了承を得てマイクを仕込んでいるところも見受けられました。この番組の「音」はかなりの肝です。音声さんはかなり努力されたのではないでしょうか。

「セシウムさん」の問題があって以降、視聴率が振るわない東海テレビ報道部。番組ではその部分に触りはすれどもそれほど踏み込むことはなく、進行していきます。当時MCをしていた福島アナに迫る場面がありますが、見ていて気持ちの良い空気感ではありませんでした。福島アナの人柄を思うと突っ込みやすかったのかもしれませんが、あれは追い込んでいるようで可愛そうです。

エラい人はどこへ?

この番組のディレクターが戦うべき相手は間違いなく最大の権力を誇るニュースデスクだったはず。そこに踏み込まずにアナウンサーに行ってしまったのは、ちょっと弱腰だったのではないかと感じました。番組ではニュースデスク、報道部長、報道局長はほとんど描かれていません。彼らがテレビや報道についてどう考えているのかもう少し見せてくれたらと、思わずにはいられません。やはり影響が大きすぎるのでしょうか?

さらに言えば、タイムキーパー(TK)、AD、技術、編集、CGと報道に携わる人はたくさんいるのにあまり存在感がありませんでした。本来はこういう人たちの中にこそ良心が潜んでいると思うのですが、どうでしょうか。

主役は派遣社員

番組に登場する記者二人はいずれも派遣社員です。ここにも弱腰感が出ています。若い記者はテレビ局専門の派遣会社から丁度良いタイミングでやってきましたが、何度も失敗を繰り返す始末で結局1年で契約が切れます。ちょっと考えすぎかもしれませんが、こうした「ちょっと駄目な記者」をこの番組のために「仕込む」ことも決して不可能ではないと思うのです。スケープゴート的な役回りをやらされた感じでしょうか。それからもうひとりのベテラン記者も派遣社員でした。こちらはジャーナリスト精神溢れる男性です。若手記者と番組的には良い意味でコントラストになっていました。「テレビの闇はもっと深いんじゃないの?」と問いかける記者のあの一言がこの番組の骨になっています。

ですが、社員はどこへ?と思わずにはいられません。「セシウムさん」の時でも社長は現れずアナウンサーが謝罪していました。どうもエラい人たちは表に出たがらない風潮はどこでも同じのようです。社員でなく派遣。デスククラスでなくアナウンサー。弱い立場の人たちばかりにスポットを当てて構成していては、やはりテレビの闇は見えてこないのだろうと思いました。アナウンサーや派遣を入れ替えて「リニューアル」しただけの番組では「さよならテレビ」と言わざるを得ないのか、と。

しかしながら、他局はどうなのか?と考えてみた時に、やはりここまでさらけ出して番組を作れたところは見たことがありません。他局にも闇があるのか知りたいところですね。

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